続・坊主憎けりゃ袈裟まで憎い? アサーションその2


前回、アサーションについて書きました。もう少し書きたいと思います。

自己主張の難しさについて少し触れましたが、それにもまして、
自己主張のスタイルを変えることの難しさがあるのかなと感じています。

幼い子どもは素直に自分を主張します。しかし成長と共に、
相手の反応を通して自分の言動に対する影響を意識するようになります。
親をはじめ、様々な人との交流から、時間をかけて自己主張のスタイルを形成します。

素直に出せていたものが出しにくくなるのも、そこに至る過程があるのだと思います。

自分を出したことで嫌な目に遭ったり、悲しい思いをした経験が重なれば、
自分の言葉をつい飲み込んでしまうかもしれません。
そんな経験が心に潜んでいれば、不安をかき立てられて、
自己主張が抑えられてしまっても不思議ではありません。

自己主張とは本来、相手との関係の場に自分を押し出すことです。
誤解を恐れずに言うならば、不安を抱く人にとってみれば、
自己主張はいわば戦いであり、勇気のいる冒険として体験されるかもしれません。

自分の意向をうまく表現できるアサーションは大切です。
しかし、そういう状況においてどんな不安や緊張を抱えて対峙しているのか、
あるいは、自己主張せずにやってきたこれまでの歴史や、それによる安心感、
そういうことに配慮することも大切だと思います。

そんな困難に目を向けず、スキルだけを提案するなら、
それこそ、不適切なアサーションになってしまいます。

ともかく、不安のせいで“言わない”スタイルが根づいてしまうと、
正当な言い分でさえも抑えられてしまいます。
すると、相手の言い分がどんどん押し込まれて、ますます息苦しくなるでしょう。
伝えたいことが言えないと、自分の気持ちはないがしろにされたまま。
何とかしたいですが、簡単なことではありません。

そんなとき、シミュレーションしてみるのはどうでしょうか。

同じ状況に再び出くわしたとしたら何と言うか?

とっさに出てこなかった言葉や思い、
それが相手の気持ちを害してしまう不安があるなら、
言いやすい表現を工夫する余地があるかもしれません。

伝える内容や言葉遣い、声のトーンや表情、タイミング、伝える順番、
あるいは、決定を先送りするための方便...

これは、実際に言うことを前提にしていません。
自分が大切にしたかった思いや気持ちをもう一度振り返ることが重要です。
それは、自分の心をきちんと認めてあげることになります。
次回のための準備は、言えなかったことによる無力感を幾分和らげてくれます。
なので、極端な話、言えなくてもいいと思います。

しかしもし、自分から話を切り出すという冒険に踏み出すことになったとしても、
全くの無防備な状態に比べれば、対応しやすくなるでしょう。
建設的な自己表現の方法について、何かしらヒントも見つかるはずです。

嫌な状況を思い出しては悔しい気持ちに思い悩むことも決して無駄ではありませんが、
違った視点や対処スキルを身につけることも心の安定には大切なように思います。

相手に対する悪い感情をひとまず置くこと
自分の気持ちを大事にすること
どうせ無理とあきらめないこと

試してみる際には、そんな点を大事にしてもらえればと思います。

もちろん、怒りや不安が強いと、1人で扱うのにも苦労されるかもしれません。
そんなときは、カウンセリングでこころを探索していきながら、
感情の整理をしつつ進めることも有効かもしれません。

言いたいことをうまく伝えられたり、それを受け入れてもらえるのは嬉しいものです。
意向を汲んでもらえると、嫌に感じていた相手の気持ちにも配慮できたり、
おかれた状況を俯瞰して冷静でいられたりするので不思議です。
きっと、心にゆとりができるからでしょう。

逆に、自分を抑えて心が追い詰められると、色々厄介なことが起こるようです。
ちなみに、昔話『食わず女房』は、そんなことを考えさせられる興味深いお話です。
またいつか、ご紹介できればと思います。