良薬は口に苦し


ブログで自己理解の大切さについてお伝えしたことがありました。

自分というものが少しずつ見えてくることで視野が広がったり、物の見方が変わったり。
それによって自分の性格とうまく向き合えたり、人とうまく付き合えたり。

パズルのピースがはまっていくように、あるいは光が差し込むかのように、
自分を知ることが豊かな発見につながるということは言えるように思います。

しかし、自己理解のよい面だけに触れたことは少し足りなかったかもしれません。

自己理解というのは、人生にとって豊かな発見をもたらす一方、
気づかなかった自分の感情や欲求、価値観などを垣間見ることでもあります。

見えなかった自分との出会いは、少なからず驚きや戸惑いがあり、
時に不安や恐怖が湧きあがることもあります。

ユング心理学においては、“影/シャドウ”という考えがあります。

それは、自分では自覚していない一面のことです。
自覚していないということは、その一面を見たくなかったり、
受け入れられなかったりという場合でもあります。

夢で、恐ろしい人物あるいは凶暴な動物が登場して当惑させられることがあります。
そんなものに追いかけられでもしたら、まさに悪夢です。

そこまでいかなくても、登場人物の下品な振る舞いや残酷な言動に直面して、
後味の悪い目覚めを迎えることは誰しも経験したことがあるのではないでしょうか。

夢の分析においては、そういう特徴から連想を広げる作業を通じて、
自分を知るヒントを見いだそうとしていきます。

自己理解は、見えてなかったものが見えてくるということですが、
それは、見ずに済んだモノにも光が当たるということでもあります。
光の差し込まない暗い場所にひっそりと佇むモノとの出会いの可能性でもあります。

受け入れがたいモノが自分の中にあるかもしれないという可能性を目の当たりにする
それは少なからずストレスになりますし、エネルギーを要することです。

最初はとても受け入れがたいもので、目をそむけたくなります。
しかし、そういったモノが何度となく自分の前に立ち現れてくるならば、
それもまた新しい自分の一部であるのかもしれません。

新しい可能性に開かれ、不慣れなモノを少しずつ取りこんでいく

その道のりはスイスイと軽やかに進むものではなく、
不安定な道にじっくり歩を進めていく地味で骨の折れる作業です。

そうやって獲得したものは、人生を豊かにする良薬となり得るのだと思います。