坊主憎けりゃ袈裟まで憎い? アサーションその1


“アサーション”という言葉、ご存じでしょうか。

簡単に言うと“自己主張”のことです。
自己主張と言っても、相手の気持ちお構いなしで、言いたいように言ってしまえば、
関係に軋轢を引き起こしかねません。
逆に、関係を悪くしないようにするあまり、言いたいこともろくに言えず...
なんてこともあります。

自分の意向を大事にしながら相手の気持ちにも配慮して良好な関係を維持する
そんな望ましいコミュニケーションスタイルのことをアサーションと言います。

このように書くと単純なようですが、いろんなジャンルをまたがって
アサーションに関連した書籍が本屋さんに並んでいるところをみると、
大切だと思われながらも、そんなに簡単なことではないようです。

実際、自己主張が求められる状況に遭遇すると、身体がこわばって、
頭がうまく働かず、言いたいことをろくに言えないまま、
相手の言い分に押し流されるといった体験をされている人もいるようです。

言いたかったことが言えないと、後から「ああいえばよかった」とモヤモヤし、
こころが晴れずに悔しい気分を引きずったり、無力感に陥ったりします。

お腹に溜めこんだ思いを愚痴って吐き出すと、そのときはスッキリしますが、
同じようなことは何度となく起こってしまうものでして、
その都度、溜めこんでは愚痴を言うのを繰り返すことも多いようです。

発散できればいいですが、愚痴ることができなかったり、受け取ってもらえないと、
ストレスはさらに溜まっていき、次第に心のゆとりが失われていきます。

すると、そんな状況を引き起こした相手に腹が立って、不満や敵意が湧きおこり、
わだかまりがどんどん大きくなっていきます。

あるいは、
身内や友人に八つ当たりして、おかしな方向へ発散したりしてしまうと、
人間関係がギスギスしてしまって、困ったことになりかねません。

心に余裕がなくなると、本来持っている思いやりの気持ちも失われていきます。
怒りや憎しみなどしんどい部分がたくさん出てきてしまいます。
それはとても辛くて悲しいことだと思います。

自己嫌悪に陥ってさらにストレスがたまるという悪循環になってしまわないため、
その1つの方法としてアサーションが脚光を浴びているのかもしれません。

ともかく、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とならないよう、
心をいたわってあげたいです。